教えのやさしい解説

大白法 436号
 
三 学(さんがく)
 三学とは、仏道を修行する者が必ず修学すべき戒(かい)・定(じょう)・慧(え)の三つをいいます。
 戒学とは、身口意(しんくい)の三業(さんごう)による一切の不善を禁制(きんせい)し、善を修することをいいます。
 定学とは、禅定(ぜんじょう)に入ることで、心を一所に定めて雑念(ざつねん)を払(はら)い、安定(あんてい)した境地(きょうち)に立つことをいいます。
 慧学とは智慧のことで、煩悩(ぼんのう)を断じて真実の法理を照らし顕(あら)わすことをいいます。
 これら三学の相互(そうご)関係は、戒律を守ることによって禅定を得(え)、禅定を得ることによって智慧を発(おこ)し、智慧に発すことによって惑(わく)を破(は)して仏道を証得(しょうとく)する、という関係にあり、不要なものとして除(のぞ)くべきものは一つもありません。すなわち、釈尊一代(いちだい)仏教のあらゆる法相(ほっそう)・法理を要括(ようかつ)したものが三学なのです。
 三学は、小乗・大乗等の教えと、正像末(しょうぞうまつ)という時により、その修学する内容は異(こと)なります。
 像法(ぞうぼう)時代の天台大師は、法華迹門(しゃくもん)の導師として、法華経を仏教の中心と判(はん)じ、一念三千の観法に三学を摂(しょう)することを説き明かしました。
 末法においては、日興(にっこう)上人が大聖人の御相伝(ごそうでん)として『上行所伝(しょでん)三大秘法口決(ぐけつ)』に、本門の本尊を無作(むさ)の大定(だいじょう)、本門の戒壇を無作の円戒(えんかい)、本門の題目を無作の円慧(えんね)とし、本尊に一切の定(じょう)を摂(しょう)し、戒壇に一切の戒を摂し、題目に一切の慧を摂して、三学の一切の意義が寿量文底(もんてい)の三大秘法に帰結(きけつ)することを御教示されています。また、更に大聖人は『御義口伝(おんぎくでん)』に、
 「戒定慧の三学、寿量品の事(じ)の三大秘法是(これ)なり。日蓮慥(たし)かに霊山(りょうぜん)に於(おい)て面授口決(めんじゅぐけつ)せしなり。本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(平成新編御書 一七七三)
と、三学を三大秘法の法体(ほったい)に配(はい)され、しかもそれが結要付嘱(けっちょうふぞく)の法体として、そのままが日蓮大聖人の御当体(ごとうたい)であることを説き、末法一切衆生の帰依(きえ)すべき本尊を明かされました。
 つまり、大聖人が唱(とな)えいだされた南無妙法蓮華経の三大秘法は、三学の一切を具(そな)えた根本の本尊であり、この本尊によって末法の一切衆生は救済(きゅうさい)されるのです。
 大聖人の三大秘法は、単なる宗教的思想(しそう)・理論によって構築(こうちく)されたものではありません。法華経の予証(よしょう)のとおりに修行された、本因妙(ほんにんみょう)の仏の当体なのです。
 私たちは、御本仏の大恩に報(むく)いるために、本門戒壇の大御本尊を固(かた)く信受し、不自惜身命(ふじしゃくしんみょう)の折伏行に精進していくことが肝要(かんよう)です。